世界無形文化遺産
モンスのドゥドゥ La Ducasse de Mons (Le Doudou du Mons)
2015年7月
モンスで毎年、聖霊降臨祭の翌日曜日に開催される祭りドゥドゥ。今回は、2005年にユネスコ無形遺産に登録されたこの熱狂的な伝統行事を紹介しよう。
ドゥドゥには、モントワ(Montois)、とりわけ、モントワカヨ (Montois
Caillaux 何世代にもわたるモンス市民)も毎年こぞって参加するが、世界遺産登録以来、世界中から多くの人々が集まる。この行列は、14世紀、やはりイーペルの猫祭りや他の伝統的な祭り同様、ペストの根絶祈願をその目的として始まった。1349年、モンスの町の守護聖人であるサン・ヴォ-ドリュ(Sainte-Waudru)の聖遺物箱が祀られた黄金の馬車(Car
d'Or)とともに人々が町の繁栄を願いながら礼拝行列を行ったのである。その甲斐あってか、エノー州は比較的にペストによる被害が少なかったと言われている。
その後まもなく1380年、祭りのさらなる拡大を目指し、「リュムソン」(Combat dit "Lumeçon")が祭りのイベントとして新たに加えられた。これは、ある2つの伝説がその起源と考えられている。ひとつは、6世紀の伝説で、カトリック世界では有名な「
サン・ジョルジュとドラゴンの戦い」である。これは、サン・ジョルジュが姫をさらったドラゴンを退治し、見事姫を救い出すというものだ。もうひとつは、1130年、この地方の領主であったジル・ド・シャンが、ワームの沼にいたという、怪物を退治するというものである。このリュムソンが祭りに加えられて以来、ドゥドゥは現在にいたるまで人々に愛される祭りとして確固不動の地位を築き上げてきた。今日では、礼拝行列よりもリュムソンのほうが祭りのハイライトとして人々に親しまれている。詳しくは、市の公式サイトをご覧いただきたい。
ドゥドゥのクライマックスは日曜日だが、木曜日にはすでにさまざまなイベントが始まる。土曜日の夜8時、サン・ヴォ-ドリュ教会でミサが行われ、その際に聖遺物箱が黄金の馬車に乗せられる。当日の日曜日、朝9時30分に、いよいよ礼拝行進(Procession du Car
d'Or)がスタートし、馬車とともにたくさんの人々が町を練り歩く。正午に、教会の下まで戻ってくるが、ここからが礼拝行進の一番大事な部分である。教会は、急な坂「la Rampe
Sainte-Waudru」の上にあるので、馬だけではとても登りきれない。そこで、人々が後ろから馬車を押し上げるのだが、見事ひと押しで登りきることができたら、町は一年間守られるが、もしひと押しで登りきらなければ、災難が訪れるという。過去二回、登りきらなかったことがあり、その年に第一次、そして第二次世界大戦が起きたといわれている。モンスどころか、世界の命運がかかっていると、人々は力を合わせ必死になって馬車を押し上げるのである。この圧倒的な熱気と迫力が他の祭りとは一味違うところだといえよう。
12時30分にはついに待ちに待ったリュムソンが始まる。礼拝行列が終わると同時にどこからともなくドラゴンとその他さまざまなキャラクターたちが現れ、広場へ向かって動き出す。ドラゴンの尻尾の毛は幸運をもたらすと言われており、それを手に入れようと人々がドラゴンの後ろから雪崩のごとく広場に向かって降りてくる。簡単に毛を取れてしまうと意味がないので、「ディアブル(悪魔)」が豚の膀胱で作られた棒で邪魔をする。ときどき怪我人が出るほどの人波と熱気なので、我こそはという人以外には路傍での見学をお勧めする。しかし、たとえ路傍でも人がひしめき合っているので波に持っていかれぬよう、注意が必要だ。祭りの間はずっと、特にドラゴンの移動中は、モンス市民たちによる「ドゥドゥの歌(La Chanson du Doudou)」の大合唱が至るところから聞こえてくる。ドラゴンが広場に到着すると、ようやくサン・ジョルジュとの戦いが始まる。戦いの間も、ときどき観客の頭上をドラゴンの尻尾が通るので、人々は我よ我よと血眼になって手を伸ばす。サン・ジョルジュの従えた「シャンシャン」と、「ディアブル」も戦いに参加し、人々の興奮が最高潮に達したところで、サン・ジ
ョルジュがドラゴンを退治し、リュムソンは終結する。これで、祭りのクライマックスは終わりだが、多々のイベントは火曜日まで続き、最終日の夜には各国から迎えられた軍楽隊のコンサートが広場で行われる。最後は、盛大な花火とともにドゥドゥは幕を閉じる。
あまりの迫力に驚くことだろうが、一見の価値は十分にあるといえる。興味のある方は、その熱狂をぜひ肌身で体験してみてはいかがだろうか。2016年の開催は6月22日である。