WITTAMER
2012年11月
グランプラスから山の手方面に歩いて行くと、ハッと目を引く綺麗な広場に出る。近くに王立美術館やマグリット美術館があるサブロン広場だ。広場には、その美しい姿と華麗なステンドグラスで知られるノートルダム教会があり、高級骨董品店や古美術商、有名ブランドのブティック、レストランやカフェが軒を並べている。お洒落なブリュッセルっ子が集う街角として知られる地区である。ヴィタメールはここに、パティスリー、ブロンジェリー、ショコラトリー、ティーサロンを持つ上流階級ご用達の名店だ。
初代ヴィタメール氏がこの一角に小さなパン屋を開いたのは、今から102年前の1910年。しかしその頃のサブロン広場は今の様なエレガントな面影はなく、朝市が開かれ、職人や労働者たちがカフェにたむろしビールを飲み、ペロタをして時を過ごすようなきわめて庶民的な所だった。
ヴィタメール氏は9人兄弟の末っ子として生まれたが、幼い頃に両親を亡くし孤児となる。負けず嫌いの少年は寝る間も惜しんで働き、パン屋を開店するまでになる。2代目の時代に多くの優秀な職人が集まり、“サブロンにヴィタメールあり”といわれるほどになった。
現在は3代目ポール・ヴィタメール氏。伝統菓子と創作パティスリーのいずれも得意とするポールの才能が、ヴィタメールの名を世界に知らしめるまでにした。1986年以来、世界の有名パティシエのエリート集団であるルレ・デセールのメンバー。2000年王室御用達になる。
ヴィタメール氏との一問一答。
~いつからパティシエになりたいと思いましたか~
当時は家族全員ここに住んでいましたから、僕はアトリエで生まれた様なものです。パンの焼ける匂いや砂糖の甘い香りに包まれて、無邪気に遊んでいました。いつもたくさんの人がキビキビ働いているアトリエ。その活気溢れる空間が好きでした。ですから高校卒業後の進路を決めるのに躊躇はありませんでした。
学ぶとなれば、当店には優秀な菓子・パン職人が揃っていたので、師匠には事欠きません。その当時はたたき上げの徒弟制度で成り立っていた時代だったので、手加減なくビシビシとやられましたよ。21歳の時、当時ヨーロッパで唯一のスイスの学校に入り、上級のテクニックや新素材、経営学などを身につけました。
~チョコレート部門について~
当店はパン、菓子の方面では名が知れていたので、僕はチョコレートの分野を開拓したいと思いましたが、まず親の反対にあいました。当時のチョコレートといえば、せいぜいホットチョコレートや甘いミルクチョコレートの時代です。プラリネも一部の人の嗜好品という程度で、今ほどポピュラーではなかったので、説き伏せるのが大変でした。
次の問題は、この素材を使いこなせる職人捜しでした。なぜって私には手は2本きりありませんからね(笑)。一人で事業はできません。長い時間をかけて捜し歩きました。これは今でも私の基本哲学ですが、「チームワーク」なくして良いものはできません。アメリカの大統領だって、優れたブレーンなくしては何もできないのと同じです。特に職人仕事の世界は、情熱を持った真面目な職人に囲まれてこそできる話です。
約70種類あるプラリネのなかで「お勧め」を聞いてみると、味の好みは個人差があるので難しいが、初期に作った幾つか(*)は、時代の流行が変わっても、誰からも好まれるものだと思う。
(*)写真の説明:左から右へ。上から下へ。トリアノン(ブラック&ミルク)Trianon 、ハート型のラズベリーCoeur framboise 、アルルカンarlequin 、ヴェネズエラ Venezuela、 フォイアンティン(ブラック&ミルク)feuillantine、トリュフ truffe、トウモロコシepis de mais、エクスキexquis、マノン(モカ&白)manon
~アトリエのほうが店舗の5倍くらい大きいのに驚きました~
幸運だと思っています。アトリエと店が一緒なので、仕入れた原料から完成品に至るまで、すべてに目が届きチェックできるので、自社の商品に自信があります。店舗を増やす気はありません。例外がヴィタメール・ジャポンです。当初は私が行って指導をしていましたが、日本人はとても優秀で、寸分の狂いもない完璧なものが作れるのが分かりました。安心して任せられます。今では年に数回日本からパティシエが修行に来ています。
ところで、日本人は生クリーム系がお好きなようですが、お試し頂きたいのが当店の定番サンバ(samba)です。ルレ・デセールの研修セミナーで、チョコレートを使った作品を皆が作り、私のサンバが1位になりました。自信作です。日本でも召し上がって頂けます。
~1999年12月、フィリップ殿下のご成婚ではウェディングケーキを製作~
幅2メートル、高さ1メートル75センチのケーキでした。形や飾り、サイズなどの最終的な返事を王室からもらったのが、ご成婚の数日前という慌ただしさでした。当店はパン屋なので定休日がありません。また誕生日や祝い事のケーキの注文が後を絶ちません。そんななか、全員が寝る暇もなくご用意いたしました。更にそのケーキを、ご招待された王侯貴族や外交官の方々の間を縫って、お見せして廻るという大役も果たしました。「シェフ、有難う」という王様のお言葉も頂きました。
~2000年に王室御用達となる~
日本はどういう仕組みか分かりませんが、ベルギーでは自ら申請いたします。もちろんそれまでに実績がなければなりませんが。これは個人が貰うものなので、個人が廃業や亡くなった場合は取り消されます。また国王が代替わりをすると、必然的に全ての王室御用達業者は見直しとなります。父の代に御用達になりましたが、亡くなりましたので、今は私の名前で御用達となっております。
申請した理由を尋ねると、「我々は昔から王室のご用命は承っておりましたので、申請する必要性は感じていませんでした。しかし現在の王室がとても外交的になったことで、外国の方へは一応の‘目安’になるのではないかと考えたからです」。
創立100年という区切りを迎えた年、チョコレートショップを改装。記念のレシピ本も出版した。またブリュッセル市は、市の顔ともいうべき老舗店を祝して、市庁舎で華やかな祝賀会を催した。今後はチョコレート関係の事業を拡大する計画もあるという。更なる大きな飛躍が期待できそうである。
WITTAMER
6-12-13 Place du Grand Sablon, 1000 Bruxelles