マラッカ

2015年2月

 

Visit Melaka means Visit Malaysia」というフレーズに興味をそそられ、マレーシアの首都クアラ・ルンプールと世界遺産の街マラッカに行ってきました。

 

【クアラルンプール】


街の中心で2本の川が合流するクアラ・ルンプール(通称KL)は、古くからスズ運搬船の拠点でした。イギリス統治時代の19世紀半ばにスズ鉱脈が発見されてからは、行政の中心が置かれ、イギリス領マラヤ連邦の首都となりました。1957年にイギリスからマラヤ連邦として独立、1965年にシンガポールが離脱独立後もクアラ・ルンプールマレーシアの首都として経済発展してきました。


 

パイナップル畑だったブキッ・ナナスの丘に建つ高さ421mのKLタワーに上りました。地上300mのオープンデッキの展望台に上るには、パスポートを提示し「何かあった場合は自己責任」という誓約書にサインをしなければなりません。そんなに危険を伴う場所なのかとドキドキしながら展望台に足を踏み入れると、そこは360度の雄大なパノラマが広がる絶景の世界で、空を飛ぶ鳥になったように空中散歩を満喫しました。高さ45289階建のペトロナス・ツインタワーを中心に高層ビルが建つ開発地区や旧市街など、ミニチュアの箱庭のようです。丘陵地に広がる街には緑が溢れ、ゆったりとした空気の流れを感じ、高い入場料を払って上った価値のあるひと時でした。

 

 

 

イギリス統治時代に行政の中心地だったムルデカ広場(独立広場)は、1957831日に独立宣言が行われた場所で、一面芝生の広場は市民の憩いの場となっています。広場のまわりには、ムーア様式とビクトリア様式の融合した優美イスラム風コロニアル建築が並んでいます。中でもスルタン・アブドゥル・サマド・ビルは当時の最高傑作だそうです。しかし私がここを訪れた日は、翌日のイベント準備のために広場はテントだらけの残念な景観でした。



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 KLタワー
 KLタワー
 KLタワーの展望
 KLタワーの展望
KL/スルタン・アブドゥル・サマド・ビル
KL/スルタン・アブドゥル・サマド・ビル
KL/ムーア建築、現在はテキスタイル博物館
KL/ムーア建築、現在はテキスタイル博物館


【マラッカ】

1396年スマトラから逃れてきたスルタンがマラッカ王国建国した地が、マラッカです。マラッカ海峡に面し、季節により東西に風向きが変わり波風の少ない天然の良港だったので、中国やインド、アラブ諸国との東西交易の中継地として繁栄しました。大航海時代に入り、1511年にポルトガルがマラッカを陥落し130年間占領しました。この時代に、マラッカ港からアジアに向けて出航したポルトガルの貿易船が日本に鉄砲を伝えました。フランシルコ・ザビエルはマラッカを拠点にインドやアジア、日本へ伝道活動をしていました。1641年にポルトガルからオランダへ、そして1795年からイギリスへと統治が変わりました。イギリス統治下に、シンガポールが交易の中心となり、マラッカは衰退してしまいました。長い間、貿易港だったマラッカは、色々な国の商人が行き交い様々な宗教や文化が調和した独特のマレー文化を築きあげました。


マラッカ川とマラッカタワー
マラッカ川とマラッカタワー
トライショー
トライショー
オランダ広場
オランダ広場

マラッカ川を挟んで東側はオランダ統治時代の歴史地区です。オランダ広場では、自転車タクシーのトライショーが観光客を待ち構えていました。昔はマレーシア中どこにでもあったトライショーですが、今では観光用としてマラッカとペナンでしか乗ることができません。トライショーの運転手は簡単ですが愉快なガイドをしてくれて、楽しい観光ができました。

マラッカタワーはガラス張りの展望台がゆっくりと回転しながら110mまで上る回転展望台です。僅か10分足らずでしたが、波もなく穏やかなマラッカ海峡と赤い屋根の旧市街、緑に囲まれた歴史地区、ゆったりと蛇行するマラッカ川の美しい眺望を楽しみました。


マラッカチャイナタウン
マラッカチャイナタウン
伝統的なマレー家
伝統的なマレー家
マラッカ プラナカンハウス
マラッカ プラナカンハウス
マラッカ プラナカンハウス
マラッカ プラナカンハウス

マラッカ川の西側は賑やかチャイナタウンです。約150年前まではオランダ人居住区でしたが、その後プラナカンが住み華僑社会を築きました。中国寺院やヒンズー寺院、マレーシア最古のモスクなど、歴史と文化、食事や買い物と見所たくさんの楽しい観光スポットです。

プラナカンとは交易などでマラッカにやってきた外国人の男性と土地のマレー女性が結婚して生まれた子供やその子孫のことを言います。特に資産家の華僑の父とマレー人の母を持つプラナカンの男性をババ、女性をニョニャといい、父方の中国の言語や文化を母方のマレー料理や衣装、習慣などを継承し融合した独特のババニョニャ文化を築きました。



 ニョニャ料理は、香辛料やココナッツ・ミルクをふんだんに使ったマラッカのおふくろの味、マレー風中華料理です。魚とエビのすり身をバナナの葉で包み蒸し焼きにしたオタオタは、日本のはんぺんに似ていますが、もっとしっかりとした食感です。ラクサ・ヌードルは魚とエビでだしを取りココナッツ・ミルクを加えたスープ麺。そのスープは、まさにビスク・ドマールの風味そのもので、ココナッツ・ミルクとマッチしてマイルドな味で、私にベルギーの食を思い出させた一品でした。マラッカ特産のパイナップルタルトは指でつまめるサイズのタルト。パイナップルペーストを乗せて焼き上げタルトは、甘酸っぱさとサクサクッとした生地で、西洋風のタルトでした。チャイナタウンのいたるところでパイナップルタルトを売っていますが、店ごとに秘伝の味があるそうです。海南チキンライスボールは、中国海南省に由来するもの。チキンスープで炊いたご飯をピンポン玉の大きさにギュッと丸めたもので、蒸したりローストしたチキンと一緒に食べます。

海の新鮮な魚介や交易によって伝わった胡椒などの香辛料を使い、東西の食文化がそれぞれの風味を生かしてミックスした料理は、昔の人々の故郷を思う気持ちが込められたマレーシアならではのものだと感じました。

オタオタ
オタオタ
パイナップルタルト
パイナップルタルト
チキンラシスボール
チキンラシスボール

様々な民族と宗教、文化を融合し独自の暮らしを守り続けてきたマラッカと独立後も経済都市として発展していくクアラ・ルンプール。対照的な2つの街ですが、その歴史と文化の起源はマラッカにあり、と納得の旅でした。